盤上の敵/北村 薫/★★★★☆

テレビ局に勤める末永が帰宅してみると、なんと自宅に殺人犯がたてこもっていた。妻の友貴子を人質に取られた末永は犯人の取引に応じるが…。物語をチェスに例え、白のキング×黒のキング、白のクイーン×黒のクイーンが戦いを繰り広げるミステリ。

本編の前に著者から読者へ向けて、「この物語は実に暗く哀しい話であり、嫌な気持ちになる方もたくさんいるでしょう。読んでハッピーになりたいと思う人にはおすすめしません」的なエクスキューズがなされていて驚いた。私はあとがきを最初に読むことは絶対にない(本は頭から通して読むというポリシーと、ネタバレ等の事故遭遇回避と、情報はなるべくゼロに近い状態で読みたい)ので、これが文庫化されるにあたりその注意書きが加筆されたのだとしたらちょっとショックだ。
私はこういう重たいテーマは嫌いじゃない。北村氏の既読作品(『空飛ぶ馬』と『夜の蝉』の2冊のみ)のカラーを考えるとまあ確かに『盤上の敵』はだいぶ印象が違う。私は「ほほう、北村氏はこういうのも書けるんだ」ってプラスに受け取った。けれども事前に断りを入れられたことで物語に対する期待が萎えたのは確かだ。些末なことかもしれないけれども。


で。感想です。
生まれながらにして決定的な何かを欠いている絶対的な悪意を持った人間と、それに本能的に従わざるを得ない弱者の存在、その危ういバランス、彼女たちの心の動き、追いつめられる友貴子の心が壊れていく様、それを追いつめていく三季の恐ろしさ。キング同士の戦いが終始白が優勢であるのに比べ、クイーンサイドは圧倒的に黒が優位に立っている。読者としては弱者(正義)が窮地に立てば立つほど盛り上がるわけで、そういう意味でのドロドロっぷりがよかった。三季のあの陰湿さは相当。友貴子の母親の葬儀の日に愛犬を殺すシーンは非道さMAXレイプ写真を旦那に見せるのもすごいけど、まあこっちは末永がその程度でドン引くような人じゃないっぽいので効き目は少ないかな。もちろんキングたちのやりとりも派手で面白かったけど、これ以上ないっていう精神的苦痛を前面に出される方が揺さぶられます。

末永と出逢うまでの友貴子が絵に描いたような不幸の塊だったことはわかった。常に『死』への解放を求めていたことも。けれどもやっぱり、恋人(現在の夫である末永)を呼びつけて「“いつだって死ねる”という安心を手元に置いておくことをあなたに知っておいてもらいたいの」っていう場面はいらないと思う。生という地獄から解き放たれるための『毒』という切符を持っていたいという心理はわからなくもないけど、それを恋人に伝えちゃうのか。それって「ああこの子はおれが放っておいたら死んじゃうかもしれない」って相手に思わせるってことでしょう。これは使っちゃいけない手のような気がするんだけどなあ。私が深読みしすぎてんのかな。うーん、まあこれが伏線なのはわかるんだけど。どうも北村氏の描くヒロインは、同性として魅力的じゃないんだよね…。彼を助けるシーンでは、おお!やるな友貴子!と思ったんだけどなー。残念だ。

それにしても、「ククク、なんで奥さん殺しちまったんだよ?」から始まる後半のでどんでん返しはすごかったなー。なにその叙述トリック。すっかり騙されましたよ。

でもラストがなー。あんまりすっきりしない。これってやっぱりテーマは「夫の妻への愛」ってことでキレイにまとめたかったんでしょうか。末永はほとんど窮地に立つこともなく石割の毒殺にわりとすんなり成功しちゃうけど、結局友貴子は自分が三季を殺したことを覚えてないし、そんで夫が命をかけて妻のをもみ消した尽力はきっと伝わらないし、友貴子TVニュース事件の概要知ったとか言っててモロ他人事っぽいし、その後恐らく末永逮捕されて殺人罪だろうし、そしたら夫が服役してる間は愛する不幸な妻はひとりぼっちになっちゃうし、三季という諸悪の根源が死んだからもう恐れるものはないのかもしれないけれども。なんというかね、私が友貴子に対して好感を持っていないせいかもしれないけど、「友貴子が背負ってきた不幸」と、「末永彼女のためにやったこと」というのはバランスが取れることじゃないんですよ。だから、友貴子に対して「ずるい」と思っちゃう。都合良すぎないか?って。夫としては、「彼女は十分に苦しんだ。だからもう解放してあげたい」「気付かないのであれば、そのままでいさせてあげたい」と思ったんだろうけどね。

あと、当事者たちがどうなったのかを読者の想像にゆだねるスタイル小説はたくさんあるだろうけど、この場合はゆだねる割合が大きすぎる気がする。数々の問題が解決されてないし、どうもしっくりこない。
内容はわりと興味深かったのだけれども、風呂敷のたたみ方というのはやっぱりとても大切で、つまり私はこのエンディングが好みではないという結果にいたりました。