ロックンロールミシン/鈴木清剛/★★★☆☆

冴えない“リーマン”を辞めたばかりの賢司。特にやりたいこともなく、無気力この上ない無職状態の中、高校時代の同級生凌一がインディーズブランドを立ち上げたと聞き、賢司は彼らのアトリエにちょくちょく顔を出すようになるが…。


20代前半の若者たちが織り成す、退廃的な人間ドラマ。

インディーズブランドというひとつの『夢』に向かって、凌一、椿、カツオの3人は寝る時間を削り、アトリエに何日も泊まり込んで作品を製作している。人が夢に向かってがむしゃらに打ち込んでいる姿というものは一見かっこ良く見えるけれども、現実的でないことも多い。賢司からすれば、凌一たちのやっていることは無計画で、行き先もわからぬまま闇雲に突き進んでいるだけで、夢見がちで、奔放で、いい加減で、自意識過剰で、遠回りで、時間を片っ端からゴミ箱へ放り投げているように見える。

賢司には「社会人だ」という自負があり、社会人経験のない凌一たちを甘いと批判する反面、自由奔放でやりたいことを思う存分できる彼らを羨ましいと思っていたと思う。逆に凌一たちから見れば、ありふれた“サラリーマン”の賢司を「小っちゃくまとまった奴」として見下していたのかもしれない。

製作を手伝ううち、賢司はいつの間にかその一員として自分のできることを探し始めるようになる。けれど、つかもうとすれば逃げていく蜃気楼のように、凌一たちは全部を放り出してしまう。そしてなぜ凌一が今まで積み上げてきたものを瞬時に捨てることが出来てしまうのか、賢司には理解できない。人間同士のかかわり合い方も、男女のかかわりも、どこか自堕落で投げやりで、かみ合わない。

別に社会人経験があるから偉いとか、アーティスティックな活動をしているからすごいとか、その辺をどうこう言うわけではないし、この物語も何かを示唆しているわけではないけど、結局のところどちらも共存はできるが根底の部分で歩み寄ることはできないんだと思う。この世の中には大きく分けてふたつの種類の人がいて、その二つのレールは隣り合っていて時々関わりを持つけれども、決してひとつにはならないという事実を、ただ淡々と見つめているような印象を受けた。それは何も生み出さないし何の意味も持たない。ただ、そういうものなんだなあ、と。私にも夢をがむしゃらに追い求めていた時期があったけれど、あえてどちらかに分けるとすれば本質はアーティストには向いていなかったと思う。人には向き不向きがあって。反対側のレールにたまたま飛び込んじゃったからちょっとだけ走ってみたけど、しがみついてみたけど、ああやっぱりしっくり来るのはこっちだなあ、ってだいぶ後になってからわかるものなんだと思った。もしかしたらそれを「諦め」や「敗北」と呼ぶのかもしれないけれど。でもまあそういう心理が働くということは、私は「アーティスト至上主義」だってことなんだろうなあ。


ちなみに、なんとなくイメージしやすくて各シーンが映像で浮かんでくるので、映画になってそうだなーと思ったらこれ2003年に映画化されてるんですね。監督は『GO』の行定勲だそうです。