三月は深き紅の淵を/恩田陸/★★★☆☆

恩田陸の小説は、読むたびに違う印象を持つ。入れ子構造の小説が最近の私的ブームなんだけど、この作品はただの入れ子じゃない。例えば、てっきりマトリョーシカだと思っていたら、中から次々と違う形のものが出てきたような。そんな感じ。

『三月は深き紅の淵を』という名の幻の本にまつわる4部構成の短編集。…ではあるんだけど、何ていうのかな、その本について4つの側面から描かれているのではなくて、その本の輪郭がどんどんブレていくような、近いんだけどジャストじゃなくなっていくというか…うーん、うまく言えない。読み終えるとしばらくボーっとしたりフワフワしたりします。

中でも最後の「回転木馬」はそれまでの1〜3とはまったく系統が異なり、作家の製作メモなのか夢なのかフラッシュする記憶なのか、断片的な何かを書き連ねたものになっている。エッセイっぽくもあとがきっぽくも受け取れるし、作家の舞台裏(というか脳内)も垣間見える。「青の丘」の碁石のゲームなんて超ドキドキしちゃったよ。


回転木馬で連想するのは当然遊園地なわけですが、私は子供の頃から遊園地にまったく興味がなくて、むしろその存在に興ざめしてしまって楽しめない、ひねた子供だった。それは今でもそう。乗り物酔いや行列に耐えられないことも理由なんだけど、特にその「無意味さ」が一番イヤだった。それはまさに

はりぼての馬にまたがって、同じところをぐるぐる回っているだけという行為がひどく屈辱的に思えた

という言葉の通り。まったく楽しんでいない私を見つめ、メリーゴーランドの外側からそれが当然であるかのように私に微笑みかけ、手を振る大人たちは一体何を思っていたのだろう? まあ私も楽しんでいるようなフリして手を振り返すわけだけれども。
とはいえ、メリーゴーランドを別の場所から静かに眺めるのは好きだ。クリスマスに行ったロンドンのピカデリーサーカスにたまたま移動遊園地が来ていたことがあって、昨日までなかったはずのものが突如そこに現れる「移動遊園地」という存在そのものがすごく不思議だったし、極寒の夜空の下で輝くそのカルーセルは美しく、もの哀しく、ノスタルジックで、孤独で、とても幻想的だったっけ。誰も乗っていない夜の回転木馬を、巨大なオルゴールのように鑑賞するのはアリだ。

だいぶ脱線しましたが、3つ目の「虹と雲と鳥と」が良かった。思春期の女の子のどろっどろな黒い部分があふれてて、一番物語として成り立ってた。実は死別した父親が惨殺魔だったとか、ストーカー行為とか、こういう一点の曇りのない完璧な人が抱える狂気的な部分やトラウマ(を遠巻きに見るの)は大好きです。そしてある意味では救われない終わり方もまた、これはこれで。


それにしてもなんだろうなあ。確かに作中に出てくる幻の『三月は深き紅の淵を』は、さんざん登場人物たちが騒いでいるだけあってきっと魅力的な本なのだろうけど、実は正直いうと私はそれほど読んでみたいと思わなかったんだよね。あまのじゃくなんだろうか。でもトータル的に見て、作りは非常に興味深い作品でした。