奇想、天を動かす/島田荘司/★★★★★


最近★のつけ具合が甘くなったのか、それとも引きが良かったのか、すごい本を読んだものだわ…、という印象。


ある浮浪者が乾物屋の女主人を刺殺した動機について疑問を持った吉敷刑事は、この事件の背景にある何かに突き動かされるように独自の捜査を進めて行く。そのうちに浮かび上がってくる32年前の出来事と、関与した人々の関係、その事件の驚くべきトリックとは…。


もう、冒頭の事件とその語り口のツカミ、随所に挟まれる同様の手法とその効果は見事としか言いようがない。グロテスクで幻想的な映像がありありと脳裏に浮かび、いっきにあの怪しい世界観の中に引き込まれる。現代パートとの対比がとても鮮やかだ。現代パートでは、まるで自分が吉敷の部下であるかのように、ひたすら聞き込みについてまわり、一緒にメモを取りながら推理をしているような気持ちで懸命に読んでしまった。

事件の全貌が明らかになっていく様は、数千ピース単位の大掛かりなジグソーパズルを地道に解いていく感じとよく似ている。「探偵」という花形スターを登場させず、ひとりの刑事が*1少しずつ謎を解いていくスタイルは、やはり一番順当で好きです*2

あと、道警の牛越さんとの絶妙なコンビネーションは、正直ちょっと都合が良過ぎないか?とも思ったのだけれどもまあ事件がスムーズに解決へ導かれるという意味では必要なことだったので仕方ない。つうか本当グッジョブすぎて素敵です牛越さん。


(※ 以下、ネタバレの可能性がありますのでこれから読もうと思われる方はご注意ください。)


私は社会派ミステリに今まで興味がなかったし、むしろ小難しそうで食わず嫌いしてきたのだけれど、割といけたっぽい。読み進むうちに時代背景や戦争の爪あと、社会的な問題が浮き彫りになってくる。政治問題然り、国家権力のあり方然り。そういった参照すべき知識が私にもっとあればさらに理解できるんだろうなあ。戦中戦後以降の「昭和」日本の歴史は、当然ながら様々なことが複雑に絡み合っていて、現代では考えられないような思想のあり方や、それがまかり通っていた社会の暗黒部分の深さはとどまるところがない。

北朝鮮問題について、友人の在日の子から日本人の愚行の数々について聞かされたのだけれど、私はそれをどこか遠くで聞いていた。知識としてはわかるし想像することは出来るけれど、それが自国のことだという認識がどうしても持てず、受け止められない。
「過去に私たちの先祖が犯した過ちについて代わりに今こうして謝ることはできるけれど、他人事みたいに感じてしまうそんな自分が申し訳ないよ」とバカ正直に言ったら、「普段はフィルターをかけてるけど、やっぱ日本人は気楽だよ」と彼女は哀しそうな目をする。私と彼女は友人だけれども、きっと彼女の中にはどうしても超えられないものがあり*3、そして私はのんきで無神経な日本人なんだろうな。


呂が32年という長い間にしてきた苦労や抱えてきた思いは、きっと私たちの想像を絶する。理不尽などという言葉では片付けられない。どんな理由があろうとも殺人は決して犯してはならない罪だけれど、最後に吉敷がトリックについて純粋に「なんていうか、感動したんだ」という言葉を発したのは彼の刑事という立場的にすごく意外で、ああやっぱり警官だって刑事だって人の子なんだなあとちょっとジンときた。
そして、約一生分の生き地獄に対する見返りといってもいいくらい、あのとき天をも味方につけた呂。彼は32年という年月をかけて復讐を果たしたことになるが、彼は報われたのだろうか。いや、報われて欲しい。そうでなきゃ、救われない。これでよかったのだ。
「それで、容疑は変わったのか?」「いや、変わらない。」
事実は覆されない。けれどもその背景にある事実を見れば、その捉え方は大きく変わってくる。取調室でパイプ椅子に座る呂の丸まった背中を想像して、とてつもなく切ない気持ちになった。私は、呂の刑が軽減されることを祈ることしか出来ない。

*1:厳密には牛越と協力し合っているので二人なのだが

*2:要素はあるかもしれないけれど、個人的には牛越に「探偵」という位置付けをしたくない

*3:事情は様変わりしていたとしても