死神の精度/伊坂幸太郎/★★★★★

やっぱり私は伊坂が好きだ、と声を大にして叫びたい。


死神が主人公の短編集。各話ごとに少しずつ違った角度から物語が展開していくので飽きが来ないし、大変面白いです。何よりもやはり「死神視点」というのと、死神の設定、死を見届けるまでの淡々としたやりとり、それから死神と人間の概念の違いが興味深い。私、こういうの大好きです。っていうか、千葉かっこよすぎだってば…ッ(照)!

毎回ラストで「ほほう…!」と思わされ、ううむ、やるなあ…!とため息が出ちゃう。たとえばゴールに向かってシュートする瞬間で話が終わって、あとはゴールが決まってから放物線を描いてボールが着地するまでを読者が脳内で描くような、そういう終わり方が伊坂の特徴な気がする。抽象的ですが。そんで読後は爽快…とはいってもただの爽快じゃなくて、それをベースにもっと複雑にいろんな感情が絡み合ってるんだけど、うーん、なんとも形容しがたい。うん、あれだ、まあ、グッときますよ。

人間の行動や思考、感情に対して死神の千葉が純粋に抱く疑問は、私たち人間にとってそれがどれほど些末なことか、もしくはそれがどれだけ大切なことかを改めて突きつけられるようなもの。たとえば「死」を筆頭にした様々なこと。そして人間たちは、千葉にされるそのまっすぐな(ある意味ではとんちんかんな)質問に、きちんと答えることができない。茶化したり怒り出したり話をそらしたり笑ったり、問題を直視しないでいられる方を選んでしまう。仙台の駐車場で出会ったウォールアートの青年のように、私も達観できればいいのだけれど。

この作品では、千葉のニュートラルな存在によって、伊坂の得意とする人間の絶対的な悪と、それに対する絶対的な善の存在とがより際立っていると思う。そしてやっぱり私は「善」の側に自分が置かれている気満々で「悪」を憎む。自分の「悪」的部分はたやすく棚に上げる。ねえ、みんなそういうもんよね? 伊坂の描くものがたとえキレイ事とか理想論だとしても、私は何かしらの「救い」を提示してくれるそういう彼のカラーが好きだし、どうやっても救われない絶体絶命で最悪の状況でも、どこかに希望を見い出したい。人間は、私にとっては、きっとそういう些細な「よりかかれるもの」が大事なのだと思う。大好きな人と、同時に同じ言葉を口にしたときの幸福感みたいなものが。


そしてまあ私の中で「死神」といったら即連想するのは『デスノート』で、やつらがリンゴ大好きなのと同じように彼らにとっては「ミュージック!」なわけですけれども。千葉をはじめとした死神たちが、夜な夜なCDショップの視聴コーナーでヘッドフォンをひとり占めしては目を細めている図を想像したらもうなんていうか、嬉しいようなくすぐったいような、たまらない気持ちになりました。ね?人間も捨てたもんじゃないでしょ?みたいな、死神に認めてもらったような(という表現も妙なのだけれど)、胸をはりたいような。

人間の創り出した最高のものは「音楽」であり、最悪のものは「渋滞」だ


本当に、読み終えてしまうのが残念でならない小説。もっと読みたい。千葉をとりまく人間たちの物語を。