依存症の女たち/衿野未矢/★★★★☆

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タイトル買い。私はこういうズバリすぎるタイトルに弱い。読んでみたら小説ではなくてドキュメントだったのだけれど、私的にはクリティカルヒットだった。最初の一行から最後の一行まで、一瞬たりとも休むことなくどっぷり読みきった。

過去に買物依存症に陥った経験のある著者が、何かに依存してしまう心理とその向こうにある女たちの心の闇に興味を持ち、様々な依存症の女たちにインタビューをしていく。
携帯電話・恋愛・アルコール・摂食障害・コンビニ・ドラッグ・DVによる共依存・セックス・リストカット・不倫・海外旅行・正義感・パソコン・自分探しなどなど、とにかく依存の対象は多岐にわたり、ライトなものからディープなものまでよくここまで集めたなと驚かされる。
もちろん出てくる人たちは実在していて、エピソードもほぼ事実だと思う。客観的に見ているとどう考えてもこれはDQNの思考回路と行動だろうと思えなくもないが、大半は普通の女性で、自分が依存症になっていることにまったく気付いていない。

私はこの類の話に登場する、メーターの振り切れた彼女たちを見て「うっわ。うっわ。」と驚くのと同時に、同じような心理が自分にも少なからずあるということを強烈に思い知らされた。

私は同居していた伯母をアルコール依存症による肝臓障害で亡くしている。眠っているとき以外は一升瓶を抱えている伯母に、何度も「お酒は体によくないよ」といい続けてきたが、彼女は私に
「私は結婚もしなかったし、子供もいない。好きなことを好きなだけやって生きてきた。だから好きなことをして死ぬ」
と冗談めかして言うだけだった。それは彼女の本音でもあったと思うが、その裏側には当時15歳の私には計り知れない心の闇があったのではないかと今になって思う。

『好きなことを好きなだけやって死にたい』

という言葉は一見かっこよく聞こえるが、現実の彼女の最期は壮絶だった。2年の闘病の末、苦しみ抜いて死んだ。誰も彼女の死に目に会えなかった。ひとりきりの病室で、気付いたら死んでいた。私が23歳の時だった。彼女が死んだ後に残ったものは、多額の治療費の請求書と6匹の猫だった。彼女の妹である母と姪の私で伯母の遺品をすべて処分し、猫は人に譲り、葬式は親族だけでつつましく執り行った。

アルコールやドラッグ依存症は誰の目から見てもわかりやすいものだから『よくないこと』だとわかるけれど、それ以外の、一見悪そうもないものに依存してしまうと、なかなか自分が依存症であることに気付くことができない。周囲がおかしいぞ、と思い始める頃には、もう抜け出せないところまできている。


キノコ採りに山に入った人が、目の前のキノコに夢中になるあまり遭難することがある。気付いたときには自力で帰れないほどかなり遠くに来てしまっている。依存とはそれによく似ている。

そして私自身も、一時期依存症に陥っていたことがある。頭ではわかっていても、そこから抜け出すことができなかった。誰にも言うことができずにいた。身近で伯母を見てきたし、まさか私はそんなことありえないと思っていた。けれども気付けば遠くへきてしまっていたのだ。私はアルコールには依存しないが、何かに依存をしてしまう体質という意味でこれは血なのか…?と悩んだこともある。

度合いにもよるが、何かへの依存傾向は誰しもが持っているのではないかと思う。そしてそれは境界線が曖昧なためどこからが依存症なのか見極めることができない。依存症は心の病気だから、自分の心の闇を見つめ、自力で壁を乗り越えないことには快方に向かうことができない。私は幸運にも友人に恵まれ、行き場のなかった思いを吐き出し、少しずつ気持ちが浄化されて冷静になり、そこから抜け出すことができた。今はネタとして笑い話にすることができる。

私はあのときの伯母の気持ちを理解することはできなかったが、この本に出てくる彼女たちの「だってどうしようもない」という気持ちが今はなんとなくわかるような気がする。形は様々だけれど、心に抱えている闇という根っこの部分では共通しているものがあるように思う。だからこんなにもこの本を夢中になって読んだんだと思う。

別にいい本でも悪い本でもないけれど、淡々と述べられていく現実と、その行間から漂う狂気を感じ、その上で自分を見つめなおすという意味では私はこの本を読んでいろいろと考えさせられたので、結果、良かったと思っている。